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東京地方裁判所 平成6年(ワ)22678号 判決 1999年8月27日

原告

松橋忠也

ほか三名

被告

中口信行

ほか一名

主文

一  被告中口信行は、

原告松橋忠也に対し金五七〇万〇七一四円

原告山田美代子、同千葉淳子及び同松橋紀子に対し各金一五二万四三一六円

及びこれらに対する平成七年一月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日本火災海上保険株式会社は、被告中口信行に対する右判決が確定したときは原告松橋忠也に対し金五七〇万〇七一四円

原告山田美代子、同千葉淳子及び同松橋紀子に対し各金一五二万四三一六円

及びこれらに対する平成七年一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを四分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告中口信行は、

原告松橋忠也に対し、金二三〇〇万円

原告山田美代子に対し、金七〇〇万円

原告千葉淳子に対し、金七〇〇万円

原告松橋紀子に対し、金一〇〇〇万円

及び右各金員に対する平成七年一月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日本火災海上保険株式会社は、被告中口信行に対する右判決が確定したときは、

原告松橋忠也に対し、金二三〇〇万円

原告山田美代子に対し、金七〇〇万円

原告千葉淳子に対し、金七〇〇万円

原告松橋紀子に対し、金一〇〇〇万円

及び右各金員に対する平成七年一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、以下に述べる交通事故につき、原告らが、被告中口信行(以下、「被告中口」という。)に対しては自賠法三条に基づき、被告日本火災海上保険株式会社(以下、「被告会社」という。)に対しては、自動車任意保険契約約款上の被害者の直接請求権に基づき、それぞれ損害賠償を求めた事案である。

一  当事者間で争いのない事実及び証拠上認定できる事実

1  交通事故(以下、「本件事故」という。)の発生(甲第一号証等)

(一) 日時 昭和六二年五月六日午前七時四五分ころ

(二) 場所 神奈川県川崎市多摩区菅稲田堤一丁目三番一号先路上(以下、「本件現場」という。)

(三) 加害者 普通乗用自動車(多摩五三ふ一一一二)(以下、「加害車両」という。)を運転していた被告中口

(四) 被害者 原動機付自転車(多摩区り九二一六、以下、「被害車両」という。)を運転していた亡松橋香枝子(以下、「亡香枝子」という。)

(五) 態様 本件現場の道路左側に被告中口が加害車両を停車させ、下車しようと加害車両の運転席右扉を開けたところ、たまたま加害車両の右後方から進行してきた亡香枝子運転の被害車両が右扉に衝突して転倒した。

2  責任

被告中口は、加害車両を保有しこれを自己のために運行の用に供していた者であるから、亡香枝子及び原告らの被った人的損害について、自動車損害賠償保障法三条に基づき、これを賠償する責任がある。

被告会社は、加害車両に付保されていた自動車保険(任意保険)の契約保険者として、任意保険約款に基づき、被告中口に対する判決が確定したことを条件に、保険金額八〇〇〇万円の限度内で、被告中口と同様の責任を負う。

3  傷害結果

右事故により、亡香枝子は脳震盪、後頭部打撲、頸椎捻挫、左大腿部打撲の傷害を負った。

4  亡香枝子の死亡

亡香枝子は、平成六年五月一七日多系統萎縮症を原因として呼吸不全により死亡した(甲第三号証)。

5  原告らと亡香枝子の関係

原告松橋忠也(以下、「原告忠也」という。)は亡香枝子の夫であり、その余の原告らは亡香枝子と原告忠也の間の子供である。

二  原告らの請求の骨子

原告らは、亡香枝子が前記のとおり死亡したのは本件事故によるものであるとして、以下のとおり損害の発生を主張し、その一部請求として前記「第一 請求」に記載したとおりの支払いを求めている。

1  治療費 合計 五二九万九〇一五円

<1> 麻生病院 金 三万四九二〇円

<2> 聖マリアンナ医科大学病院(以下「聖マリ病院」という。) 金二三七万一九八〇円

<3> 片山整形外科記念病院(以下「片山病院」という。) 金一七三〇円

<4> 東京慈恵会医科大学病院(以下「慈恵病院」という。) 金一万二二一〇円

<5> 国立療養所村山病院(以下「村山病院」という。) 金二万一一二六円

<6> 関東労災病院 金一万一四八〇円

<7> 鶴川厚生病院 金六八万二五七〇円

<8> たま日吉台病院 金二三万四〇四〇円

<9> 星ケ丘接骨院 金一万四五〇〇円

<10> 谷合サキエ鍼灸マッサージ治療室 金二万四〇〇〇円

<11> 麻生病院関係(被告側既払分)金一八九万〇四五九円

(労災求償七二万五四五九円を含む。)

2  通院費 合計金九一万八四一六円

<1> ガソリン代 金三三万六一〇六円

<2> タクシー代 金一万四一五〇円

<3> その他(駐車代) 金一二万六九〇〇円

<4> 麻生病院関係通院費 金四四万一二六〇円

3  入院雑費 合計金一九九万六四〇〇円

亡香枝子は以下のとおり合計一四二六日医療機関に入院していたので、その間一日当たり一四〇〇円の入院雑費を要した。

<1> 昭和六二年五月六日から同年八月一八日(一〇五日間) 麻生病院

<2> 平成元年六月二一日から同年七月二〇日(三〇日) 聖マリ病院

<3> 平成二年一〇月一一日から同三年二月一五日(一二八日) 右同

<4> 平成三年二月一八日から同年七月二九日(一六二日) 鶴川厚生病院

<5> 平成三年七月三〇日から同年一二月一八日(一四二日) 村山病院

<6> 平成四年一月八日から同年三月三一日(八四日) 関東労災病院

<7> 平成四年四月一日から同年一二月九日(二五三日) 自宅療養

(この期間は、医療機関に入院していないので入院雑費を請求する根拠となり得ないと思われるが。)

<8> 平成四年一二月一二日から平成五年二月二六日(七七日) 聖マリ病院

<9> 平成五年二月二六日から同年五月一九日(八一日) 鶴川厚生病院

<10> 平成五年五月一九日から同六年三月一七日(三〇三日) 聖マリ病院

<11> 平成六年三月一七日から同年五月一七日(六一日)

たま日吉台病院

4  入院期間中のその他の費用 金六七万八九二一円

<1> おむつ代 金一四万八九三〇円

<2> 医療器材 金一一万五四五四円

<3> リハビリ材料 金一万四四〇〇円

<4> その他 金四〇万〇一三七円

5  付添費 金六五〇万六五〇〇円

原告松橋紀子は、3の入院雑費の項目で記載した<5>から<11>の間(合計一〇〇一日)亡香枝子の介護のために付き添った。この間の付添費として、一日当たり六五〇〇円として、合計六五〇万六五〇〇円の損害が生じた。

6  葬儀費用 金一二〇万円

原告松橋忠也は、亡香枝子の葬儀費用としておよそ三〇〇万円を支出したが、内金一二〇万円を請求する。

7  休業損害 金二一五〇万四七八五円

亡香枝子は、婦人交通整理員として稼働するとともに、家庭の主婦でもあった。

本件事故後亡香枝子はまったく労働することができなかったから、死亡するまでの休業損害は、その当該年度の賃金センサス企業規模計・学歴計・年齢別年収を使って算定すべきであり、具体的には次のとおりとなる。

<1> 昭和六二年分 一七二万四六四〇円

年収二六二万三〇〇〇円を基礎とし、事故後年内一杯までの二四〇日分

<2> 昭和六三年分 二七二万一五〇〇円

<3> 平成元年分 二八五万八九〇〇円

<4> 平成二年分 三〇五万二五〇〇円

<5> 平成三年分 三二四万〇二〇〇円

<6> 平成四年分 三二九万六一〇〇円

<7> 平成五年分 三三五万二六〇〇円

<8> 平成六年分 一二五万八三四五円

年収三三五万二六〇〇円を基礎とし、年初から死亡するまでの一三七日分

8  死亡による逸失利益 金一九六五万〇四五一円

平成五年の賃金センサス女子平均賃金年収三一五万五三〇〇円を基礎収入とし、稼働可能年数は死亡時五二歳であったから六七歳までの一五年間、生活費控除割合四割として計算すると、一九六五万〇四五一円となる。

9  慰謝料

<1> 亡香枝子分 金一八〇〇万円

亡香枝子は、本件事故後約七年間にわたり入退院を繰返したがついに死亡するに至ったもので、また、生存中は四肢麻痺(身体障害者に認定されている)等で生活をせざるを得ず、亡香枝子の被った精神的・肉体的苦痛は絶大であり、これに対する慰謝料は一八〇〇万円とするのが相当である。

<2> 原告忠也分 金六〇〇万円

その余の原告らの分 各金三〇〇万円

原告忠也は亡香枝子の夫として、その余の原告らは亡香枝子の子供として、亡香枝子の加療に尽力または協力したが、その努力の甲斐もなく亡香枝子が死亡したのであり、原告らが被った精神的な負担、衝撃は大きく、各原告らの慰謝料としては、原告忠也については六〇〇万円、その余の原告らについては各三〇〇万円とするのが相当である。

10  弁護士費用 金八五〇万円

被告らが、損害賠償金の支払いに任意に応じないために、原告ら代理人に本件請求を依頼し、その報酬として判決認容額の一割相当額を支払うことを約した。

原告忠也については四二〇万円、原告山田美代子及び同千葉淳子については各一二〇万円、原告紀子については一九〇万円である。

11  各人の損害額

治療費、交通費、入院雑費、その他の費用、葬儀費用及び原告忠也固有の慰謝料は、原告忠也独自の損害として、付添費は原告紀子の固有の損害として、その余は亡香枝子の損害として原告らが法定相続分で分割取得した。

弁護士費用をも加えると、各原告の損害額は次のとおりとなる。

原告松橋忠也 金四七五三万八六五一円

原告山田美代子及び同千葉淳子 各金一四〇五万九二〇六円

原告松橋紀子 金二一二六万五七〇六円

12  各人の本訴における請求額

原告らは、本訴においては前記損害額の一部請求として次のとおり請求する。

原告松橋忠也 金二三〇〇万円

原告山田美代子及び同千葉淳子 各金七〇〇万円

原告松橋紀子 金一〇〇〇万円

三  本件の争点及びこれに対する当事者の主張の要旨

本件の争点及びこれに対する当事者の主張の要旨は以下のとおりである。

(争点1)亡香枝子は平成六年五月一七日多系統萎縮症を原因として死亡したが、右死亡と本件事故との間に相当因果関係が認められるか。

(原告ら)

1 亡香枝子が、本件による受傷後一貫して治療を受けたこと及び診断名は別表記載のとおりであり、亡香枝子は、本件事故により頸部に損傷を受け、それが最終的には「頸髄損傷」(別表11の聖マリ病院の診断が最初である。)と診断されているのであるから、亡香枝子が本件事故により頸髄損傷の傷害を負ったことは明らかである。

2 被告らは、亡香枝子の治療の中断を捉えて亡香枝子の本件事故による症状は昭和六三年九月三〇日には固定していたと主張しているが、亡香枝子は、別表記載以外にも昭和六三年九月ころから平成元年四月ころまで、ときわ健康ランド温泉、シンノオル電子科学治療、気功術、川崎イトマンスイミングスクール腰痛コース等の民間療法をも試みており、治療の中断はない。

3 亡香枝子の死亡原因は、本件鑑定人伊藤順通氏(以下「鑑定人」という。)の指摘するとおり、本件事故による頸椎捻挫を原因とする頸髄損傷による肺炎であり、仮にそうでないとしても、頸椎捻挫を原因とする上位頸髄損傷による横隔膜神経の損傷による呼吸不全であり、いずれにしても、本件事故と亡香枝子の死亡との間には相当因果関係がある。

4 仮に、亡香枝子の死亡に対し、亡香枝子に内在する素因が影響しているとしても、本件事故による受傷が右素因に重大な影響を与えて死亡という結果を招来したのであるから、本件事故による受傷は亡香枝子の死亡に多大な寄与をしており、これを割合的に吟味考慮して損害額を算定すべきである。

(被告ら)

1 亡香枝子は、本件事故によって頸髄を損傷したとは認められない。

なぜならば、本件事故によって頸髄を損傷したとすれば、受傷当時から脊髄症状である歩行障害や排尿困難などの脊髄症状が発現していなければならないが、亡香枝子の受傷当時の症状は頭痛、吐き気であって右のような症状は生じていない。

昭和六三年及び平成元年に行われた種々の検査によっても異常が認められず、亡香枝子の歩行障害、排尿困難等は受傷後三年以上も経過して出現しているものである。

2 亡香枝子の直接の死因は肺炎であるが、右肺炎は誤嚥性のものであり、その原因は嚥下障害にある。嚥下中枢は延髄にあり、仮に、亡香枝子に頸椎損傷があったとしても嚥下障害とは無関係である。

亡香枝子の死亡した原因は、亡香枝子がオリーブ橋小脳変性による球麻痺によって誤嚥性肺炎になったためであり、外傷によるものではなく内因性の病変である。

3 亡香枝子は、昭和六三年九月三〇日から平成元年三月二二日までの約半年間継続的な診療を受けていない時期があり、当時亡香枝子が受診していた麻生病院の医師は、昭和六三年九月五日に、あと一か月で症状固定と考えていたのであるから、昭和六三年九月三〇日に亡香枝子の症状は固定していたと考えるべきである。

平成元年三月一八日、亡香枝子は、自転車に乗ろうとして転倒して聖マリ病院の救命センターを受診しており、その後の同月二二日から受診を再開していることに照らしても、昭和六三年九月三〇日に症状固定したものと考えられる。

したがって、本件事故と相当因果関係のある治療期間は、事故当日から右症状固定日までと考えるのが妥当である。

(争点2)本件事故につき、亡香枝子に過失相殺事由があるか、あるとすればその割合

(被告ら)

1 被告中口は、南部線稲田堤駅の売店で新聞を購入するために本件現場に加害車両を停車させ、車外に出るためドアを約五〇センチメートル開けたところ、右ドアの内側部分が、折から加害車両の後方から進行してきた亡香枝子運転の被害車両に衝突したために、亡香枝子は転倒するに至ったものである。

2 原告においても、走行していた車両が停止したことを現認し、これに続いて先行車内から下車が予見されたのであるから、ドアの開くことを予見しつつ前方に注意を払って進行すべき義務があるのにこれを怠ったものであって、この点に過失があり、一〇パーセントの過失相殺がなされるべきである。

(原告ら)

本件事故の態様は被告らの主張するようなものではないが、仮に、本件事故の態様が被告らの主張するとおりであるとしても、本件事故現場の状況、特に本件道路の幅員、対向方面の交通状況を勘案すると、亡香枝子の本件通行方法には過失相殺を問題とされるような過失はない。

(争点3)損害額

第三当裁判所の判断

一  (争点1)について

1  亡香枝子の死亡と本件事故との因果関係については、医学の専門家の立場から全く異なった見解が表明されている。

鑑定人医師伊藤順通博士の鑑定書は、各医療機関での治療状況を詳細に説明した上で、亡香枝子の症状について次のような点を指摘している。

<1> たま日吉台病院医師谷治夫発行の死亡診断書によれば、亡香枝子は多系統萎縮症が原因の呼吸不全が直接の死因であり、この多系統萎縮症に直接関係ないものの、頸椎損傷がその経過に悪影響を与えたとしており(甲第三号証)、交通事故受傷時の頸椎損傷が死亡時に至るまで少なからず関与していることを認めている。

<2> 亡香枝子の受傷から死亡までの全臨床経過をたどれば、亡香枝子の直接死因は頸髄損傷による肺炎と言わざるを得ない。具体的には、頸椎捻挫による肺炎は、頸髄損傷の症状憎悪とともに嚥下障害が発現し、臥床中における食事の微量な誤嚥、あるいは経管栄養等はもちろん、褥瘡が生じるほどに臥床しているため肺のうっ血から続発する就下性肺炎さらには亡香枝子は換気能不良から挿管酸素吸入をしており、気道の汚染から惹き起した肺炎等と推定される。

<3> 頸椎捻挫には、頭部のレントゲン検査、MRI検査等の画像所見に乏しく、患者として長期間にわたって苦痛に耐えたあげく不幸にして死亡の転帰をとる例もまれにみられる。

亡香枝子の場合、平成二年一〇月一一日から翌三年二月一五日まで聖マリ病院第二内科入院時に、頸髄の瘢痕所見を認めているところから、この時期に所見が顕著に現われたものと推定される。

中枢神経系は繊細な構造をしており、交通事故による脳挫傷を例にとっても経過とともに複雑多岐な変化を呈するものであり、本件のような頸椎捻挫により、頸髄に何らかの傷害があれば末期症状として脳、頸髄の循環障害からの疾患とも受けとめられる画像変化をきたすものと推定される。

2  しかし、乙第七及び第一一号証の阪本桂造助教授の各医学鑑定書によれば、亡香枝子は、本件事故により頸椎損傷をきたしたことは考えられても、脊髄に障害を負い病的な状態になったとは考えられず、死因は、直接的には肺炎であり、右肺炎はオリーブ核橋小脳変性による球麻痺の一つの症状である嚥下障害による誤嚥性肺炎であるとして、本件事故と亡香枝子の死亡との間の因果関係を否定している。また、亡香枝子の本件事故による傷害の症状は、昭和六三年九月三〇日に症状固定したとの見解を示している。

3  そこで、亡香枝子の死亡と本件事故との間に相当因果関係があるか否かを検討するが、まず、亡香枝子の治療経過等を別表にそって概観することにする。以下の数字は、別表の番号と符合させる。

<1> 麻生病院(乙第一号証)

本件事故直後からおよそ一年五か月の入通院期間に該当するが、事故直後の亡香枝子の主訴は、頭痛、吐き気であり、その後、肩、腰等多彩な症状を訴えているが、直接頸髄損傷に結びつくような症状は確認されていない。ただし、昭和六三年八月一日の記載に、下肢がもつれて転倒したことを窺わせるものがある。

また、被告らが主張するように、昭和六三年九月五日の記載に、担当医師があと一か月で症状固定を考えていたことを示す記載、さらには、同年九月二七日の記載に、変形性脊椎症所見を経年性のものと理解していたことが窺われる。

(なお、麻生病院の入院カルテ及びX線フィルムがないことは、事故直後の亡香枝子の状態を理解する重要な資料を得られないという意味で、本件事案の解明を少なからず困難にしている。)

<2> 聖マリ病院(乙第八号証)

亡香枝子は、聖マリ病院において、多数回、長期間にわたって治療を受けているが、<2>の時期は最も初期からのものである。

主訴としては腰部痛であり、昭和六三年七月から平成元年三月まで通院が途絶えていた。頸髄損傷との診断及びこれを窺わせるような記載はない。

平成元年三月一八日に、亡香枝子が自転車に乗ろうとして転倒し、救急車で聖マリ病院に搬送されて左肩打撲の治療を受けた(原告松橋忠也、甲第八号証)が、これは、亡香枝子が麻生病院退院後自転車に乗ることがあったことを示す(原告忠也もこれを認めている。)。

<3> 片山病院(乙第二号証)

立っているのが困難との主訴があったものと認められるが、腰筋の圧痛以外に他覚的症候はないとも記載されている。

<4> 慈恵病院(乙第三号証)

立位困難との症状で検査をしているが、脳CTスキャンは正常であり、第五腰椎と第一仙椎間の椎間板ヘルニア(打撲による)との診断がなされている。

<5>、<6>、<7> 聖マリ病院

主訴としては、腰痛、四肢筋力の低下である。

各種の検査を行った結果が、別表に記載したとおりの診断となっている。

排尿に支障が出てきたことが窺える。

<9> 関東逓信病院(乙第六号証)

検査の結果の診断名が別表記載のとおりである。

<10> 聖マリ病院(乙第八号証の四)

四肢の筋力低下及び構音障害を主訴とする。始めて頸髄損傷との診断がなされた。しかし、知覚障害がないことから、担当医師自ら脊髄損傷ですべて説明することは無理との記載がなされている。

排尿も困難である。

<11>、<15> 鶴川厚生病院(乙第九号証)

診断名は別表記載のとおりである。直前の聖マリ入院中と同様の症状であったと理解できる。

平成五年四月には、誤嚥性肺炎との診断もなされている。

<12> 村山病院(乙第四号証)

四肢機能麻痺、構音障害、排尿困難等を主訴としている。

多発性脳梗塞との診断がなされた。

障害は、多発性脳梗塞を原因とするもので、頸部の障害と多発性脳梗塞との障害への関連は不明であるとの担当医師の考えが示されている(一一頁)。

<13> 関東労災病院(乙第五号証)

頭部MRで両側基底核に小梗塞が多発していることが確認された(二四頁)。

事故との関係はわからないとしている。

頸椎の変形は強いが、外傷による直接の変化とは考えられない(八五頁)との担当医の意見がカルテに記載されている。

<14>、<16> 聖マリ病院(乙第八号証の五以下)

別表記載のとおりの診断がなされている。

<15> たま日吉台病院(乙第一〇号証)

直接の死因は呼吸不全としている。

原告らにあてた担当医師のメモによれば、脊髄小脳変性症と外傷の因果関係はなく、脊髄小脳変性症と頸椎損傷の関係も明らかではないとされている(九七頁)。

4  以上の鑑定人の鑑定書及び乙第七号証、第一一号証を中心に、本件事故と亡香枝子の死亡との因果関係の有無につき検討するに、結論としては、亡香枝子の死亡と本件事故との間の相当因果関係を認めるに足る証拠はないと考える。

(1) 亡香枝子の直接的な死因が嚥下性の肺炎であることは、鑑定人も阪本助教授も同じ見解であり、これに反する証拠もない。

(2) 問題は、右のような嚥下性肺炎を引き起こした原因である。

鑑定人はこれを本件事故に基づく頸髄損傷によるものとしている。しかし、本件全証拠をもっても、亡香枝子が本件事故により頸髄損傷の傷害を負ったと認めることはできない。そして、以下の理由からも明らかなように、亡香枝子の死亡は内因性の小脳変性が原因であり、これに本件事故による傷害がどのような影響を与えたかは不明と言わざるを得ないのであるから、本件事故による傷害が亡香枝子の死亡に寄与していると評価することもできない。

以下、その理由を述べる。

<1> 本件事故により亡香枝子が頸髄損傷の傷害を負ったとすれば、受傷当時からその髄節に応じた知覚・運動・反射の異常が認められるべきところ、亡香枝子には知覚障害が発現していない(乙第一一号証、乙第八号証の四等)。

<2> 亡香枝子の主訴は、受傷当時は頭痛、吐き気であり、その後の中心的な症状である歩行障害、構音障害、排尿困難などはその時点では発現していない。

<3> 亡香枝子が頸髄損傷と診断されたのは、事故後三年以上も経過した後であり、それまでは頸髄が損傷されているとの診断はなされていないのみならず、その後において村山病院では頸椎症性脊髄症(頸椎椎間板が退行変性をきたすと、その周囲の脊椎や靭帯にも二次的に退行変性を伴うようになり、その結果、頸髄や脊髄が障害され、脊髄症状が出現する。これらの退行性変化は加齢現象として高齢者に多く見られる。南山堂「医学大辞典」参照)と診断されている。しかも、最初に頸髄損傷との診断を下した医師自身が亡香枝子に知覚障害がないことに疑問を感じ、脊髄損傷ですべて説明することは困難としていることは前記のとおりである。

さらに、亡香枝子は、その後の治療においては、脊髄小脳変性症(オリーブ橋小脳萎縮症。以下「OPCA」という。)との診断がなされた(乙第八号証の五、一〇四頁)が、右疾病は、小脳内の変性であって内因性のものであるから、これが本件事故によるものとは考えられない。

<4> 鑑定人は、死亡診断書において、頸椎損傷が死亡に悪影響を与えたものとして記載されていることを挙げて、頸椎損傷が少なからず死亡に寄与したものと認識しているようである。しかし、右診断書を記載した医師自身が、(嚥下障害を引き起こしたと考えられる)脊髄小脳変性と外傷とは関係がなく、また、右変性と頸椎損傷の関係も明らかではないとみているのは前記のとおりであり、死亡診断書を根拠として本件事故と亡香枝子の死亡との因果関係を肯定することは相当ではない。

<5> さらに、肺炎の原因となっている嚥下障害については、乙第一一号証にあるとおり、これを医療機関で認知されるようになったのは平成四年一月の関東労災病院からである。

一方、昭和六三年九月の亡香枝子の脳のCT画像では脳に異常はなく(乙第三号証一七頁)本件事故による脳の障害は認められなかったが、平成三年八月のMRI画像では広い範囲にわたり脳梗塞像が見られる(乙第七号証一〇頁)ことから、右の間に脳梗塞が発生したものと推認されるところ、右の脳梗塞によって歩行障害や構音障害が生じたものと考えられ、これが、関東労災病院においては、亡香枝子の四肢麻痺症状は主として右脳梗塞によるものであるとされ(乙第五号証、七九頁、八三頁)、さらには、前述のとおり、OPCAという診断につながっている。

(3) 以上のとおり、本件事故による傷害と亡香枝子の死亡との間に相当因果関係を認めることは困難であるが、では、本件事故による受傷に対する治療は、いつまで必要かつ相当であったかを検討する。

<1> 亡香枝子が本件事故による外傷により、頸椎捻挫、腰椎椎間板症等の傷害を負ったことは別表1、2から明らかであろう。

被告らは、乙第一号証(一六頁)の記載や通院状況からみて、昭和六三年九月三〇日には亡香枝子の症状は固定したものと主張している。

<2> たしかに、被告らの主張するような記載が存在していること、その間医療機関への通院が少ないこと等は認められるが、しかし、亡香枝子は、昭和六三年九月三〇日以後も現実に検査目的であっても片山病院や慈恵病院に回数は少ないものの通院していること、頸椎捻挫や腰椎椎間板症の傷害を負った者の中には治療が長引くものがあること等を考慮すると、右期日において症状固定と考えるのは相当ではない。

<3> 別表からも明らかなとおり、亡香枝子は、医療機関を変えながらも治療を継続してきており、また、本件事故による頸部及び腰部の傷害の治療を継続するうちに、多発性脳梗塞、及びこれに関連する小脳変性をも惹起していたものと推認される。

いわば、本件事故による傷害の治療と多発性脳梗塞に基づく症状に関する治療が並行的に行われていた時期が存在していたものと思料される。

その区別をすることは相当に困難なことであるが、平成二年一〇月一一日からの聖マリ病院での治療の際には、亡香枝子の主訴は四肢筋力低下、構語障害であり、これらの症状が明らかになったこともあって身体障害者の認定がなされているものと推認されるから、この時点では前記の多発性脳梗塞あるいはOPCAの症状が顕著となったものと考えられる。

してみると、右の時点までは、一応本件事故による傷害のための治療が継続したものと考えることも不当ではないであろう。

もとより、多発性脳梗塞あるいはOPCAがそれ以前から生じておりそのための治療がなされていたことも否定できないし、逆に、その後の治療の中にも、本件事故による傷害に対する治療が含まれていることも否定できないであろうが、治療経過、主たる治療の対象は何であったかという観点から、右のような扱いをするものである。

<4> 以上により、亡香枝子の本件事故による傷害に対する治療としては、平成二年一〇月一〇日までと考えるのが相当である。

二  (争点2)について

1  本件事故態様の詳細を解明するための資料としては、乙第一二号証の一、二があるのみである。

問題は、亡香枝子が加害車両のドアが開くことを予見でき、かつ、予見すべきであったかであるが、被告中口の説明によれば、加害車両を稲田堤駅の売店で新聞を購入しようと停車させ、運転席側ドアを開けたところ、ドアの内側部分に後方から進行してきた亡香枝子が乗っていた被害車両が衝突したということである。

2  被告中口の説明する状況を前提にすれば、亡香枝子は、加害車両が停車した後間もなく運転者が下車することを予見できた可能性は否定できない。

しかしながら、被告中口の説明どおりの状況であったと認定することができるかも問題であるし、また、仮に被告中口の説明を信用できるとしても、被告中口は、加害車両を停車させた際、加害車両の後方に二台の車両が駐車していたとも説明しており、そうだとすれば、亡香枝子は、右二台の駐車車両のために被告中口の車両の停車状況、被告中口の車内での動向等を注視することができなかった可能性も否定できない。さらに、本件が基本的には被告中口の後方の安全確認義務違反に基づく事故であること、被害車両が原動機付自転車であるのに対し、加害車両が四輪車であること等をも考慮すると、原告らの主張するとおり、亡香枝子に過失相殺を問題とされるような過失があったと認めることはできない。

3  被告らの過失相殺の主張は失当である。

三  (争点3)について

1  争点1に対する検討で述べたように、亡香枝子の死亡と本件事故とは相当因果関係がないから、その前提で原告らの請求する損害項目ごとに判断する。

(1) 治療費 金二〇七万五二二九円

前述したところから、本件事故日から平成二年一〇月一〇日までに治療を受けた分の治療費が本件事故と相当因果関係のある損害ということになる。

なお、接骨院及び鍼灸マッサージについては、受傷からの時間的経過や医師からの指示の有無等を考慮して、本件の損害と認めることは不相当である。

損害として認定されるのは、以下のとおりである。

<1> 麻生病院 金三万四九二〇円

(甲第四号証、原告の請求どおり)

<2> 聖マリ病院 金一四万一〇六〇円

(文書代は含まず、甲第四号証、63の3ないし5、1の1の2、1の5、2の1)

<3> 片山病院 金一七三〇円

(甲第四号証、原告の請求どおり)

<4> 慈恵病院 金七〇六〇円

(甲第四号証、63の8、10ないし13)

<5> 麻生病院関係(被告側既払分) 金一八九万〇四五九円

(労災求償七二万五四五九円を含む)

(2) 通院費 合計金四九万六七九五円

<1> ガソリン代 金一万九〇八五円

本件の損害対象期間中のガソリン代三万八一七〇円

(甲第五号証の一枚目から五枚目まで)の半額を認める。

<2> タクシー代 金一万四一五〇円

(甲第五号証、原告の請求どおり)

<3> その他(駐車代) 金二万二三〇〇円

本件の損害対象期間中の駐車場代(甲第六号証)

<4> 麻生病院関係通院費 金四四万一二六〇円

当事者間に争いがない。

(3) 入院雑費 合計金一六万二〇〇〇円

亡香枝子は以下のとおり、本件事故により必要であった入院治療期間として合計一三五日を要したから、当時一日あたりの入院雑費として一二〇〇円として合計一六万二〇〇〇円。

<1> 昭和六二年五月六日から同年八月一八日 (一〇五日間) 麻生病院

<2> 平成元年六月二一日から同年七月二〇日 (三〇日) 聖マリ病院

(4) 入期間中のその他の費用 認定額なし

本件事故による入院が必要であった時期には、日額の入院雑費以外に必要な入院雑費用は認めるに足る証拠がない。

(5) 付添費及び葬儀費は、いずれも本件事故の受傷により生じた費用とは認められないから、損害として算定することはできない。

(6) 休業損害 金六二三万二六一五円

亡香枝子は、本件事故当時婦人交通整理員として稼働するとともに、家庭の主婦でもあった。

本件事故後亡香枝子は婦人交通整理員としての仕事をまったくすることができず、家事労働についても相当困難をきたしていた(原告忠也の尋問の結果によれば、昭和六三年一〇月ころには、亡香枝子は炊事等を行っていたものの、十分にできない状態であったことが認められる。)ことが認められる。

亡香枝子が入院していた時期は一〇〇パーセントの休業を、また、それ以外の時期は、亡香枝子の仕事に家事が含まれていることを考慮すると、割合的に休業を余儀なくされたものと認めるのが相当である。そして、亡香枝子の通院状況、亡香枝子の身体的な症状等を考慮すると、その時々において、休業の割合も異なり、時間が経つにつれて休業の割合が増加したものと推認できるが、本件の損害の算定については、これを平均して一律に評価することとし、前記の本件事故時の傷害のために必要かつ相当な治療期間である昭和六二年五月六日から平成二年一〇月一〇日までの間の一二五四日のうちの入院期間一三五日を除いた一一一九日について、七割の休業をしていたものと認めるのが相当である。

なお、亡香枝子の基礎収入は、亡香枝子の交通整理員の収入がそれほど多くないと認められること、及び、主婦労働の休業損害の基礎収入との関連で、賃金センサス昭和六二年第一巻第一表の産業計・企業規模計・女子学歴計の全年齢平均賃金を基礎収入として算定する。

247万7300円×(135+1119×0・7)÷365=623万2615円

(7) 死亡による逸失利益は、亡香枝子の死亡と本件事故の間の因果関係を認定できないから、本件事故による損害として算定することはできない。

(8) 慰謝料 金三〇〇万円

亡香枝子は、本件事故により入院四・五か月、通院約三七か月を要する傷害を負い、事故時及びその後の治療の過程で相当の肉体的・精神的苦痛を被ったことは推認に難くない。

また、死亡との因果関係は認められないとはいうものの、亡香枝子としては、本件事故による傷害の治療中に小脳変性という難病に罹患し、苦しい闘病生活の末死亡したことも明らかであり(甲第八号証、原告忠也)、本件の慰謝料を考える上で、この点も若干考慮する必要があろう。

その他、本件事故の態様、家族らの亡香枝子に対する援助の態様等本件に現われた一切の事情を考慮すれば、亡香枝子の傷害慰謝料としては金三〇〇万円をもって相当とする。

原告らの請求する近親者固有の慰謝料については、本件が、亡香枝子の死亡と本件事故との間に相当因果関係が認められない事案であることから、これを認めることはできない。

(9) 小計

治療費、通院費、入院雑費は原告忠也の損害として請求されており、これらの合計額は二七三万四〇二四円である。

これらのうち治療費、通院費として一六〇万六二六〇円は既払であるから、請求できる金額は、一一二万七七六四円である。

亡香枝子の損害としては休業損害及び慰謝料であるが、その合計額は九二三万二六一五円となるが、休業損害等を受領しているからその合計額一二八万六七一五円を控除し、残七九四万五九〇〇円を法定相続分で相続したものとして、原告忠也分が三九七万二九五〇円、その余の原告らが各一三二万四三一六円(小数点以下切り捨て)となる。

(10) 弁護士費用

原告らが、本件訴訟の提起・追行を原告ら代理人に委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、審理経過及び認容額等の諸事情を考慮すれば、本件と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告忠也については六〇万円、他の原告らについてはいずれも二〇万円とするのが相当である。

第四結論

原告らの本訴請求は、原告忠也については五七〇万〇七一四円、その余の原告らについてはいずれも一五二万四三一六円の支払いを求める限度で理由がある。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 村山浩昭)

別表

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